卓話概要

2020年09月29日(第1737回)
元日本放送協会 会長
籾井 勝人氏

粗にして野だが卑ではない

★川筋気質
 私は福岡県の、といっても博多ではなく、筑豊の炭鉱町で生まれ育ちました。遠賀川というのがあって、「川筋」という言葉が、その地域の気性を表わしています。「川筋」というと、「筋もん」とかいって非常に悪い印象がありますが、改めて「川筋気質」というのを紹介すると、生一本で曲がったことが大嫌い、弱きを助け強きをくじく、つまり単細胞で単純、これがほんとうの川筋気質です。ぜひこれまでの悪いイメージを払拭していただきたいと思います。
 ですから、私も短気で、怒りっぽくて、手より口が先に出る、このへんが問題なわけです。

★自由闊達な会社
 私は昭和40年に三井物産に入社しました。それまでずっと九州にいた人間が、急に東京に出てきたわけです。
入社式で会長の訓示がありましたが、今でも覚えていることが2つあります。
 1つ目は、三井物産の社員は、ゼニ儲けのことばかり考えてはいけない。世の中のこと、日本のこと、世界のことを考えて仕事をしなさい。
 2つ目は、三井物産は自由闊達な会社です。自由闊達とは、意見があったら課長に言いなさい、それがだめなら部長に言いなさい、それでもだめなら社長に言いなさい、ということです。これが三井物産です。
 私が会長を立派だと思ったのは、新入社員が理解できるような話をしてくれた、ということです。私は単細胞ですから、素直にそれを信じて、職場に入っていきました。

★もう一回リセットして頑張る
 最初の職場で私は、上司の課長を、好き嫌いというのではなく、どうしてもこの人の下では仕事をしたくないと思ったのです。しばらく経って、部長のところへ行って、新入社員のくせに「転勤させてください」と言いました。するとなんと、ちょうど1年後の4月1日付で、九州の八幡支店に転勤させてくれたのです。
 自分から希望したこととはいえ、我ながらよく決断したなと思います。ただし、そこで暇だったこともあって、大学受験に次ぐぐらい一生懸命勉強をしました。貿易実務や鉄について勉強したのです。
 三井物産には、若い社員を海外に留学させる制度があって、私も試験を受けたところ、優秀な成績で合格したのです。そして希望どおりオーストラリアに行きました。
 八幡に転勤して考えたことは、自分で希望してここに来たのだから、ここでぐうたらな生活をしていてはだめだ、ここでもう一回リセットして頑張ってみようと思ったのです。心の中で、ものすごく大きな変化がありました。今にして思えば、自主性というのが、いかに大事かということです。

★仕事中心で人を見る
 オーストラリアに行っても上司と揉めました。やはり課長が尊敬できなかったので、支店長のところに相談に行きました。すると支店長はこう言いました。
 「あいつは変わった男だ。君の言うことは分かるが、あいつがいないと仕事ができないんだ。君は、あいつのいいところだけ学んだらいいじゃないか」
 この言葉も、私にとっては非常に強く心に響きました。なるほど、好き嫌いで人を判断してはいけない、人のいいところを見る、仕事中心で、というのは、そのときに学んだ非常に大きな教訓でした。
 翌日から、鮮やかに2人の人間関係は好転し、課長もずいぶん可愛がってくれるようになりました。

★NHKの話
 NHKの話もしなければいけないのではないかと思います。
 放送法には、「事実に基づき、公平公正、不偏不党、何人からも規律されず」という4つのエッセンスがあります。またNHKには「海外放送規定」というのがあって、「政府の方針・政策は正しく正確に伝えなければならない」とあります。当時、尖閣問題もありましたが、いま思えば自分でもアホだと思うのですが、そのとき私は、「政府が右ということを左というわけにはいかない」と言ってしまったのです。それは右翼・左翼の右左という意味ではなくて、「正反対のことを言ってはいけない」ということを言ったつもりだったのです。
 ところが、これが誤解を招いて、この問題も含めて、私は国会に140回呼ばれて追及されることになりました。
 しかしNHKでの3年間は、私としては楽しくやらせていただきました。理由は簡単です。私自身には負い目が全くないからです。
 私の在職中にNHKは、リオ・オリンピックのときに、パラリンピックも実況放送をするようになりました。
 また、女性が出産で2年間休むと、2年昇進が遅れていたのを、会社の仕事と同じということで、それを無くしました。
 最後に、人口減少問題です。これが日本でいちばん大きな問題だと思っています。生まれる子供の数によってお金の給付を大きく増やすなど、もう少し分かりやすい政策をしてほしいと思っています。