卓話概要

2024年03月05日(第1848回)
東京大学名誉教授
月尾嘉男氏

情報社会の彼方

★シンギュラリティ
 2000年から2020年までの20年間で、世界で流通する情報は5600倍増えています。こういう社会が来ると予言したのが、レイ・カーツワイルという学者です。彼は2005年に“The Singularity Is Near”という書籍を発表しました。「シンギュラリティ」というのは、特異点という意味で、特別な変化をする点を指します。これが2045年に来ると言いました。つまり、コンピュータ(情報システム)が作り出す知能が、人間が現在持っているすべての知能を上回るときが、40年後に来ると言ったのです。
 しかし、この天才学者も間違えました。実際は2025年頃に、人工知能の作り出す情報のほうが、全人類が作り出す情報を超えることになります。この大きな原因は、いま話題の「生成人工知能」といわれる技術が、勝手にどんどん情報を作り出すという仕組みが社会に投入されたことによります。それによって一気に加速することになり、我々はそれが作り出す情報に対処しなくてはならなくなりました。

★失業問題
 その結果、何が起こるかというと、まず失業問題が起こります。あるイギリスの研究者は、今後数十年で、今の仕事の50%に相当する20億人分の仕事が無くなると言いました。
 どういう仕事がその対象になるかというと、演説の原稿を書く/コールセンター/原稿の朗読/自動翻訳/トラックの運転/流行音楽の作曲/流行小説の執筆/手術、等。
 こういった仕事は、生成人工知能が出現した結果、すべて可能になりました。
 1997年以降、コンピュータがチェスや将棋、囲碁などの世界チャンピオンに勝ちました。
 最近では、2022年度の司法試験を人工知能に解かせたところ、GPT3.5というソフトウェアが合格ラインを突破しました。また、昨年5月には、GPT4が医師の国家試験の合格ラインを突破しました。
 昨年、芥川賞を受賞した『東京都同情塔』という作品に対して、ある人が「これは人工知能で作った文章ではないですか」と尋ねたら、作者は「5%は人工知能に書かせました」とあっさり認めています。アメリカでは、SF雑誌に投稿される小説は、毎月350編ぐらいがまったく人間の手を使わずに書かれている、と言われています。

★犯罪と監視
 犯罪も起こります。その一つが「ディープフェイク」です。アメリカの大統領選で、オバマやバイデンの贋の画像が出回りました。また、テレビ会議で贋の画像と気がつかずに相手と対談していたということもありました。
 もう一つ厄介な問題は、監視です。ロンドン、北京、アメリカの主要都市は監視カメラだらけです。
 監視カメラの画像から、その人の職業まで分かってしまうソフトウェアもイスラエルで開発されています。また、歩く姿のほうがもっと正確に分かるという技術も日本で開発されています。電柱に取り付けられたカメラの画像から、歩いている人が誰かを特定できるわけですから、「いずれプライバシーは無くなる」と言った人もいます。

★「情緒」を国力にしていく
 では、これからの社会で、我々は何を大事にしなければならないか。それは「情報」ではなく、「情緒」こそ人間が維持すべきものだと思います。
 「情報」は知っている人が少ないほど価値があり、「情緒」は知っている人が多いほど価値が増えます。日本は、これからの社会で、この「情緒」を国力にしていくことを政策にすべきだと思います。
 幸い日本は、その点、海外から比較的高い評価を受けています。アジアでは「訪問したい国」は日本が1位、欧米でも日本が2位になりました。国際観光収入は世界7位、観光競争力は世界1位です。
 日本が評価されるのは、「平和である」「住みやすい」「安全である」「殺人発生率が非常に低い」といった点があります。
 もう一つは、世の中を「強制」でなく「誘導」という方法で動かす、という考え方が大事だろうと思います。
 必要なのは「多様性」です。残念ながら、日本はこの点で遅れています。外国人比率や移民の受け入れ人数は非常に少なく、スイスのシンクタンクによると、男女格差指数は世界で125番目です。
 ただし、日本には多様になれる基盤があります。国土の広さは世界で61番目ですが、海の広さ(排他的経済水域)は8番目、国土の南北距離は3000km(9番目)、海岸線の延長(6番目)等々。その結果、生物の多様性は、哺乳類(5番目)、鳥(4番目)、植物(6番目)です。
 日本はいま、情報社会では技術的に遅れている点が多くありますが、「情緒」の点では、住みたい国(2番目)という、外国から注目される、たいへん優れた国であるということを認識していただきたいと思います。