卓話概要

2025年07月08日(第1899回)
玉地正則会員

イニシエーションスピーチ

★諦めなければなんとかなる
 玉地という名前のおかげで必ず「玉ちゃん」と呼ばれます。皆様もぜひお気軽に「玉ちゃん」とお呼び下さい。
 両親は香川県出身です。千葉県松戸市の団地に住んでいた昭和38年に、私は次男坊として生まれました。高校は芝浦工業大学高等学校を卒業したのですが、大学は体育教員を目指して日本体育大学に進学しました。
 現在は10歳下の妻と、看護師の長女、大学3年生の次男坊という家族構成で、目黒区の中央町に住んでおります。
 私は次男坊として母に甘やかされて育ちました。甘い男の生き方として、無理せず楽しく過ごしていこう、才能も根性もだいたい75点~85点のほどほどの能力なので「諦めなければなんとかなる」と思い込んで過ごしてきました。
 日本体育大学を卒業後は、親の紹介で関東第一高校の体育科に職を得ました。体育の先生でトレーナーができるような人が欲しいという話が上がり、私が手を挙げました。それで行ったのが東京医療専門学校で、鍼灸マッサージや柔道整復師の資格を取る学校です。
 3年後に免許を取ったときに、亀戸で関東一校付属鍼灸治療院をやってくれと言われました。私はまだ治療の経験が無く、体育の先生との掛け持ちも難しいとのことなので、無理して学校に残るより、学校を退職し鍼灸マッサージを勉強してその世界で生きて行こうと思いました。そこで勉強も兼ねて入ったのが草加松原整形外科医院でした。
 病院では、手術のレベルではない脱臼骨折を「柔道整復」という整復固定で治療します。それを目の当たりにした自分もその資格を取りたいと思い専門学校の恩師に相談したところ、推薦を頂けて柔道整復科に入学ができ、3年で資格を取ることが出来ました。
 平成9年に、友人と不動前に鍼灸マッサージ接骨院を開業しました。6年後に後輩の2人がやって来たので、新しく「ほほえみ在宅マッサージ」という訪問のリハビリマッサージを始めました。そこで初めて法人化し、有限会社トラストの経営者という立場になりました。