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★厳しかった学校生活
私はウクライナ出身です。チェルノブイリ原発事故が起きた場所から、わずか2.5km離れたところで生まれました。事故が起きたとき、私は生後1か月でした。
強制的に避難させられた首都キーウに14歳まで住んでいました。学校では「原発の子たち」と見られて、他の子供たちは、私たちとあまり友達になりたくなかったようです。
「原発の子たち」は、体が弱い子が多く、特にビタミンが必要でした。学校では、給食のほかに、バナナ、リンゴ、ジュース、牛乳などが毎日与えられました。他の子供たちは、特別扱いされるのを見て、嫌な気持ちを抱くようになり、私たちにいろいろ意地悪をするようになりました。
子供の頃は、そういった厳しい学校生活を送りました。それでも、同じように避難した子供たちで音楽団ができました。そこで一緒に歌ったり、踊ったりしながら、お互いの悩みを話し合ったりしました。
それとは別に、私はピアノも習いましたが、母の友達がバンドゥーラの先生でした。その先生に勧められて、バンドゥーラも弾くようになりました。
★バンドゥーラ = ウクライナ
バンドゥーラというウクライナの民族楽器は、12世紀頃から、目の不自由な男性が演奏する楽器として知られていました。昔は語りとして使われた楽器でした。その点では日本の琵琶と似ています。
バンドゥーラ=ウクライナです。どこの国に行っても、バンドゥーラでウクライナの文化、歴史、民族を伝えることができます。バンドゥーラの演奏には、必ず歌も付いています。
弦の数は65本、重さは8kgあります。指で押さえる弦は1本もありません。いちばん似ているのはピアノです。ピアノの弦がそのままタテになった感じです。バンドゥーラは爪を使って弾いたりします。爪を使って弾く弦楽器の中で、いちばん弦の数が多い楽器と言われています。
★19歳から日本に
7歳のとき、音楽団と一緒に、ドイツでのコンサートに呼ばれました。コンサートが終わると、子供たちは募金箱を持って募金集めをし、チェルノブイリ原発事故のせいで病気と闘っている子供たちのために、そのお金を寄付しました。ドイツのほかに、スイスやスペインなどでも、同じような活動をしました。
10歳のときに、その活動で日本にも来ることができました。全国各地を回って、日本に一目惚れし、いつか日本という平和で安全な国で、自分のソロ活動ができたらいいな、という夢を持つようになりました。
その後も何回か音楽活動で日本に来ていましたが、音楽専門学校を卒業して、19歳のときに、自分の活動のために日本に来ることができました。2年間、日本語の学校で勉強もしました。その後、結婚して子供も生まれ、それからずっと日本に住んでいます。
★今も戦場で
ウクライナから日本に来て、原発から遠いところにいて、もう安全だなと思っていたのに、東日本大震災があり、福島原発事故も発生しました。その後、もちろんその前から、東北地方には何度も演奏活動で行っています。
そうした中で、残念ながらロシアとウクライナの戦争が始まり、未だに終わらない状態が続いています。私は母を日本に避難させましたが、ウクライナには上の姉が2人、その子供たち、ほかにも多くの親戚が残っています。現在、2人のいとこたち、何人かの親友が戦場で戦っています。毎日、心配です。
チェルノブイリの事故もそうですが、私はウクライナ人として、これからも日本全国を回って、ウクライナのことを皆さんに伝える活動を続けていきたいと思っています。
★ずっと自由で、ずっと平和で
昨年7月、株式会社カテリーナ・ミュージックという音楽プロダクションを立ち上げ、全国で活動しています。
まだまだ戦争が終わらない状態で、日本でも震災、災害などがありますので、そういう地域にも行って支援活動をしています。そのために、今年4月に一般社団法人ジョイフル・ウィングズを立ち上げ、自分の音楽を通して、少しでも皆さんを支援できたらいいなと思っています。
昨年3月、私は東京築地ロータリークラブに入会させていただきました。これからも皆さんと同じロータリーのメンバーとして、もっともっと大きく活動していきたいなと思っています。
私には夢があります。
早くウクライナで戦争が終わりますように。どの国でも戦争が起きませんように。ずっと自由で、ずっと平和で、ずっと安全で、ずっと青い空でありますように。
【歌と演奏】
*「金色の花」(マリーゴールド)
*「翼をください」
*「ふるさと」