2025年1月~6月
2024年7月~12月
2024年1月~6月
2023年7月~12月
2023年1月~6月
2022年7月~12月
2022年1月~6月
2021年7月~12月
2021年1月~6月
2020年7月~12月
2020年1月~6月
★財団の4つの柱
私が財団の理事長に就任したのは2006年4月ですから、ほぼ19年経ちました。
最初にこの財団をおつくりになったのは俳優の杉良太郎さんです。創立は1992年12月25日ですので、ちょうど32年過ぎたことになります。ベトナムと日本における財団としては、日本でいちばん古い財団です。私は3代目の理事長になります。
財団は次の4つの柱で運営しています。
★文化交流事業
「日本桜祭り」を3年にわたって展開しました。最初は1万人、2年目は10万人、3年目は2日半にわたって30万人を集める大きなイベントになりました。このイベントに「よさこい踊り」を導入したところ、見事にベトナムに根付き、各地で「よさこい踊り」の大会が行われるようになりました。
2010年8月28日には、平城京遷都1300年とベトナムのハノイ建都1000年を記念して、東大寺大仏殿の中で「日越文化交流演奏会」を催しました。日本とベトナムは、大仏開眼供養のときベトナムのフエから仏哲さんというお坊さんが来日して、踊りと音楽を奏上したという古くからの交流の歴史があるのです。
6年前には、大阪シンフォニーホールと東京サントリーホールで「日越外交関係樹立45周年記念コンサート」を行いました。東京のコンサートには、当時の天皇・皇后両陛下がお聴きにいらっしゃいました。この突然のご臨席は、観客の皆様にもたいへん感動を与えました。
昨年は日越外交関係樹立50周年でした。これに際して私たちは「アニオー姫」というオペラに協賛させていただきました。アニオー姫というのは、御朱印貿易商であった荒木宗太郎が、ベトナムで結婚した王女です。宗太郎は姫を長崎に迎え、生涯そこで一緒に暮らしました。長崎の祭事「長崎くんち」では、今でもこの史実が再現され続けています。
★教育支援事業
杉良太郎さんの時代にベトナム政府から依頼を受け、ヌイチュックという場所に土地を提供してもらい、私たちが4階建ての建物を寄贈して、「ヌイチュック日本語学校」を創立し運営しています。現在も私たちが支援して日本から先生を送っています。いま約700名がここで学んでいます。
ハノイやホーチミンでは「日本語スピーチコンテスト」を行っています。表彰者には賞金として日本旅行などを授与しています。
最近オンラインが普及してきたので、4年前から、ベトナム全土で日本語が勉強できる仕組みを構築しました。現在15クラスあって、約300名が勉強しています。この「無料日本語塾」の生徒を今年から来年にかけて1000名に増やしたいと念願しています。この日本語塾は、日本語検定試験に合格したら、その受験費用を財団が補填することにしています。
★医療人材育成事業
「日本桜祭り」でお会いしたベトナムの外務大臣から、ダナンにもがん病院をつくりたいというご意向をお聞きしました。そこで私たちは、済生会病院の炭谷理事長にお願いして、病院の完成時に100台の医療用中古ベッドを寄贈していただきました。
また病院長からは、日本でベトナムの外科医の研修を引き受けてくれないかというお話がありました。ということで、私たちは10年前から、毎年2~3名の研修を引き受けています。
また、「日越外交関係樹立50周年」ということで、秋篠宮殿下が天皇陛下の名代としてハノイを訪問された折に、ダナンまで足を延ばされ、ダナンがん病院を表敬訪問されました。
★職業紹介事業
以上のような努力等々もあって、現在ベトナム人は、中国人に次ぐ60万人以上が日本に滞在されています。
日本で働く国別外国人数としては、ベトナム人が57万人で、中国、フィリピン、ネパールなどを抑えて断然1位です。日本の労働力を圧倒的に支えている外国人です。特に東京の新聞配達はベトナム人抜きには語れないと言われています。
私が就任した約20年前は、日本にいるベトナム人は2万人弱でした。現在、それからほぼ30倍に増えました。これには日本人とベトナム人の性格や歴史など、さまざまな要因が背景にあるだろうと思います。
私たちは、ベトナム北部の貧しい地域で、大学に行けない子供たちに、日本語を勉強して、日本に来てアルバイトをしたり、奨学金をもらったりしながら、日本の大学に行っていただきたいと思っています。「無料日本語塾」もそうした趣旨で展開しています。
ベトナム語で「ありがとうございました」を「シン カム オン」と言います。「真 感 恩」と漢字にしたら簡単に覚えることができます。