卓話概要

2025年03月04日(第1885回)
認定NPO法人ロシナンテス理事長 当クラブ名誉会員
川原尚行氏

究極の医療は戦争をしないこと、させないこと─スーダン内戦を経験して

★「人のために生きよ」
 小倉高校の大先輩である加藤書久様とのご縁で、いま東京西南ロータリークラブの名誉会員にさせていただいています。
 高校ではラグビーばかりやっていたのですが、3年生の11月頃になって、これからどう生きるか考えていたとき、近くにあるお寺の和尚さんから聞いていた、「人のために生きよ」という言葉を思い出し、それなら医者になろうと決意して九州大学医学部に進学しました。
 卒業してからは外科の道に進みました。当時、九州大学と外務省が提携関係にあったので、外務省の医務官となって1998年にタンザニアに行きました。その後、仕事が面白くなったので、外務省にそのまま残りたいと大学に言って、2002年に今度はスーダンに行きました。
 ところがスーダンは内戦をやっていて、我が国からスーダンへの援助が停止されていました。国が支援しないと決めている以上、医者として手を出すことは許されない状況でした。しかし外務省の職員である前に医者でありたいという気持ちが強かったので、20年前に外務省を辞めて今に至っています。

★国を背負うのは子どもたち
 スーダンには立派な病院もあって、私はそこで外科の一員として働きました。アフリカの医療にはさまざまな側面があります。高度医療を望んでいるところもあれば、田舎に行けばほとんど医者がいない地域もあります。私も地方で巡回診療を行いました。
 診療所も今までに4つ建てています。現地で感じたことは、子どもたちがしっかり勉強して医者になって、私たちと一緒に医療をするようになればいいな、と思いました。しかし学校といっても校舎がありません。そこで今までに4つ校舎を建設あるいは改修しました。将来、国を背負って立つのは子どもたちです。しっかり勉強してもらいたいというのが私の願いです。
 私たちが現地で医療活動をしながら生活できるのも、地域住民に支えられているからだと思います。住む家や食事も彼らにつくってもらっているので、お互い様かなと思っています。

★ザンビアでの医療活動
 2019年からザンビアで医療活動を行っています。医療資源の乏しい地域で医療をどうするかを、今いろいろ考えているところです。
 私たちは「マザーシェルター」というのをつくりました。お母さんに出産のときまでそこで過ごしてもらい、出産したら安心して帰ってもらうというものです。これについては東京西南ロータリークラブ様にたいへんご支援をいただいて、いま2棟目の大きなシェルターをつくっているところです。
また、お腹の中の赤ちゃんの状態を診る「ポータブル・エコー」を非常に安価に作ることができ、いま導入の段階に来ています。
 アフリカでも「母子健康カード」が普及していますが手書きです。それをデジタル管理にしようとザンビア政府に提案したところ話が進展し、いま日本の外務省との間で調整をしているところです。
 また、どこでも持ち運べるレントゲン機器が、日本のメーカーで開発されています。こうした最新のテクノロジーを使った機器を、医者がいなくて困っているアフリカでぜひ活かしたいと思っています。

★内戦下のスーダンからの脱出行
 スーダンは、独裁者のバシール大統領が退陣し暫定政権が樹立されましたが、不安定な状況が続き、とうとう2023年に国軍と民兵との間で内戦が勃発しました。
 私はそのとき首都のハルツームにいました。部屋の前のビルが空爆されるのを見て、これは命が危ないなと、初めて身の危険を感じました。
 外務省、国連、スーダンの人たち、いろいろなところから情報を入手しました。最終的に国連と一緒に行こうと決断し、国連の車列に加わりました。約1000人の人々が避難しました。820kmの距離を30時間かかってポートスーダンに到着しました。そのとき真っ先にやって来たのが日本の自衛隊で、日の丸を見たときは本当に安堵しました。自衛隊、外務省には心から感謝しています。

★アフリカの薬草研究をさらに進化させる
 利益になることをアフリカにもたらそうと、熊本大学が薬草の研究を行っています。アフリカ開発会議(TICAD)というのがあって、そこで熊大とイベントをやりました。学術だけでなく、ある製薬会社の社長さんが、その研究をアフリカと企業がお互いの利益にしていくという形で進めています。
 私も九州大学の客員教授になりまして、九州・長崎・熊本の3つの大学で薬学連携をつくって、アフリカの薬草研究をさらに進化させていこうと考えています。
 私はこれから3月19日にザンビアに行き、その後スーダンに行って、本格的にスーダンの支援を再開しようと思っています。