卓話概要

2021年03月30日(第1751回)
東京西南ロータリークラブ会員
田代 弘興会員

仏教あれこれ(会員卓話)

★人形劇団に就職
 私は、名前を「弘興」といいます。「弘」は弘法大師の「弘」で、「興」は真言宗の第2代と言われる興教大師という方の「興」という字で、「こうきょう」と読みます。
 皆さんがおいでになった奈良の長谷寺は、階段が全部で1066段あります。そんな山の中に、昨年の6月まで4年間住んでいました。おかげでずいぶん足腰が鍛えられました。
 その意味では、チャーターメンバーの方が6名になったというのを聞いて、非常に寂しい気がしています。
 私はこれまで、浮き沈みの激しい人生を送ってきて、間もなく81歳になります。
 大学は、宗門の大正大学を卒業しました。しかし、その後すぐにお寺を継ごうという気にはなれませんでした。新聞広告を見たりして、静岡県の高校に狙いを定めて、全部で6校ぐらい面接に行ったのですが、全部落っこちてしまいました。
 次に見つけたのは、金町にある人形劇団でした。結局、そこに就職することになったのです。それは松谷みよ子さんという、国際アンデルセン賞を受賞した方が主宰している「太郎座」という人形劇団でした。
 その劇団で2年間仕事をしましたが、その間、日舞や仕舞の稽古をしたり、NHKの番組の中で人形を使ったりしました。
 その後、今度は自分で「ピッコロ」という劇団を作りました。私がロータリーのチャーターメンバーになったのは、人形劇をやっているときだったと思います。ですからロータリーでは、あまりお坊さんとしては扱ってもらえなかったように思います。

★父親の跡を継ぎ住職に
 そんなことをしていたので、私が父親の跡を継いで、荻窪にある真言宗豊山派・光明院の住職になったのは、大学を卒業して15年ぐらい経っていました。
 僧侶には、僧階というのがあって、15階級ぐらいあります。大学の同級生たちは、その頃はもう10~12ぐらいの僧階にいたのですが、私は人形劇団に入ったりしていましたから、大学卒業程度の3~4ぐらいの階級でした。
 それから一生懸命仏教や住職としての勉強をしました。先輩方のお引き立てもあって、全日本仏教会というところに、宗派の出向として行くことになりました。その仕事が終わった後、今度は宗派の仕事をするようになりました。こうした仕事を通して、よき先輩方に恵まれたことに感謝し、先輩方を立てていくことが大事だということを学びました。

★真言宗豊山派管長と長谷寺住職に
 今から4年半前、真言宗豊山派の管長と長谷寺の住職に選ばれました。
 真言宗の役職に、集議(しゅぎ)と菩提院結衆(ぼだいいんけつじゅう)というのがあって、集議は20人、菩提院結衆は30人と決まっています。集議は70歳以上でないとなれません。菩提院結衆は60代もいらっしゃいます。皆さんは民主的に選ばれた立派な方ですが、集議の方が1人亡くなると、菩提院結衆の中から1人上に上がる、というシステムになっているのです。
 私は、たまたま運よく集議になることができましたが、この20人の集議の中から、管長と長谷寺の住職を選ぶのです。
 ところが、20人の方々はそれぞれお年寄りですから、皆さんどこか健康に問題があって、その中では、私がいちばん健康だったのです。それで、長谷寺の階段を上れそうなのは私しかいない、ということで、全会一致で私がやることになったのです。
 それが12月末で、次の年の6月15日に入山、ということになりました。そのためには、事相と教相の資質がなければなりません。これまで事相の勉強などしてこなかったので、法要などの儀式の次第を全部一から覚えなければなりませんでした。6か月間、猛勉強しました。
 教相は、真言宗豊山派はどういう教化方針で、どんな教学を教えていくのか、という教化の基本的な流れを勉強しなければいけません。それも猛勉強が必要でした。
 そういう次第で、4年前の6月15日に入山式を迎え、長谷寺の住職になりました。

★後七日御修法の大阿闍梨に
 私は、平成29年に長谷寺の化主(けしゅ:住職)になりましたが、長谷寺では第87代目に当たります。初代の専誉(せんよ)僧正という方が化主になられたのが1588年ですから、そんなに古くはありません。真言宗豊山派としては、32代目の管長となりました。
 真言宗には御修法(みしゅほう:後七日御修法)といって、弘法大師の時代から毎年宮中で行われていた大事な儀式があります。現在は京都の東寺で行われていますが、18ある真言宗の本山から、後七日御修法の大阿闍梨(だいあじゃり)というのを1人選びます。幸運にも私は、平成31年、平成最後の年の御修法の大阿闍梨を務めることができました。