卓話概要

2023年02月14日(第1812回)
東京都北方領土の返還を求める都民会議事務局長
蓮池攻氏

北方四島の現状

★北方領土の歴史
 北方領土というのは、北海道の東に位置する歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島および択捉(えとろふ)島のことです。
 江戸幕府は、1785年(天明5年)に本格的に北方領土と千島列島の調査・開拓に乗り出し、最上徳内を派遣しました。その後、幕府は国防上の必要から幕府直轄地として統治することとし、近藤重蔵を国後島・択捉島に派遣して実地調査を行わせ、重蔵は「大日本恵登呂府」(だいにっぽんえとろふ)の標柱を建設しました。また商人の高田屋嘉兵衛は、国後島・択捉島間の航路を開拓しました。
 1855年(安政元年)に、ロシアとの間に日魯通好条約が締結され、択捉島と得撫(うるっぷ)島との間が国境と定められました。樺太(サハリン)は従来どおり国境を設けず、両国民の混住の地とすることが定められました。
  1875年(明治8年)に樺太千島交換条約が締結され、日本はロシアから千島列島を譲り受ける代わりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。ここで重要なのは、千島列島には北方四島は含まれていないことです。
 1905年(明治38年)、日露戦争の結果、ポーツマス条約が締結され、北緯50度以南の南樺太が日本に割譲されました。
  1945年(昭和20年)8月9日、ソ連は日ソ中立条約を無視し、対日参戦をしました。8月14日、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏の意図を明確にした後の18日より、千島列島への侵攻を開始、8月28日~9月5日に、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島の北方四島を占領しました。その後、1946年(昭和21年)、ソ連は北方四島を一方的に「ソ連領」に編入しました。
1951年(昭和26年)、サンフランシスコ平和条約が締結。日本は千島列島と南樺太の一部を放棄しましたが、北方四島は千島列島には含まれていません。重要なのは、ソ連はこの条約に調印していないため、この条約上の権利を主張し得ないことです。

★北方領土返還要求運動
 こうした中、すでに1945年12月、根室町長の安藤石典が、連合国最高司令官マッカーサー元帥に対し、「北方領土を米軍の保障占領下に置いて治安の回復を図って欲しい」との陳情を行いました。これが北方領土返還要求運動の始まりとされています。
 現在の北方領土返還要求運動は、青年団体、婦人団体、労働組合、地方公共団体等の関係者が中心となり、47都道府県に「北方領土返還要求運動都道府県民会議」を設置し、地域における返還運動を支えています。
 東京都においては「北方領土の返還を求める都民会議」を1983年(昭和58年)に設立、以来、北対協と連携しながら、東京都民を対象に大会、パネル展などのさまざまな活動を展開しています。
 また、毎年 2月7日を「北方領土の日」、毎年 2月と8月を「北方領土返還運動全国強調月間」として設定しています。

★日露交渉の現状
 我が国としては、我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結することが対露外交の基本方針です。
 これに対してロシアの主張は、「領土問題は解決済みで存在しない。北方領土は第二次世界大戦の結果、ロシア領となった。これはしかるべき国際的な文書で確定している。日本がこれを認めなければ、話し合いには応じられない」という立場です。
 2013年~2019年に、安倍首相はプーチン大統領と27回も交渉したのですが、結果的に関係改善が見られませんでした。             
 その後、ご承知のように、2022年(令和4年)2月24日、ロシアによるウクライナ侵略が開始されました。
 そして3月21日、ロシアは現在の状況下において日本との平和条約に関する交渉を継続するつもりはないこと、北方四島交流および自由訪問を中止する決定が行われたことを声明しました。
  9月5日には、北方四島交流および自由訪問について、日本側との合意の効力を停止する露政府令を発表しました。
 このように、安倍・プーチン交渉の失敗に加え、ロシアのウクライナ侵攻の影響によって、安倍首相が築いた日露の安定した関係は崩壊し、北方領土問題は新たな局面を迎えました。
 多くの分野で交渉・協力・交流などが中断し、こうした状態が長期間続く恐れがあります。
 ロシアがウクライナ侵攻によって領土を拡張しようとしている中で、ロシアとの領土交渉は極めて困難な状態で、領土交渉の進展は当分望めそうもありません。
  領土問題はソ連時代に逆戻りし、「日露関係の回復には10年~20年かかる」(パノフ元駐日ロシア大使)という声もあります。
 しかしながら、それでも外務省や内閣府の人たちは、「こんなことでへこたれてはいけない。領土問題は国民が一致団結して大きな声を上げ続けていかなければ前へ進めていくことはできない」と言っています。