卓話概要

2025年11月04日(第1911回)
松竹株式会社 エグゼクティブフェロー
岡崎 哲也氏

歌舞伎と海外との意外な交流

★明治から大正にかけての海外交流
 歌舞伎座ができる前、日本で一番の劇場は新富座でした。明治12年、アメリカの南北戦争時の北軍の将軍で、第18代グラント元大統領を、日本政府と渋沢栄一が国賓として招待しました。その際、グラント氏を歓迎しようというので、12世守田勘彌がオーナーの新富座で、名優9代目市川團十郎が河竹黙阿弥に頼んで、「グラント将軍の一代記」という合戦物を3日間上演しました。それを見たグラント氏は、たいへんご満悦でお帰りになったということです。歌舞伎と海外との交流については、最初にこんなご縁がありました。
 明治22年には最初の歌舞伎座が誕生します。明治44年には帝国劇場が開場します。ルネサンス式の外観で西洋式の劇場でした。
 大正に入ると、多くの著名アーティストが来日するようになります。大正11年には、世界最高のバレリーナ、アンナ・パブロワが来日し、帝国劇場に出演します。6代目菊五郎はそのパブロワと親交がありました。翌大正12年にはヴァイオリニストのクライスラーが来日します。

★昭和前期の海外交流
 そんな中、初めて歌舞伎が海外に行ったのは昭和3年のことです。2代目市川左團次一座がソビエトで公演しました。そのとき世界的な映画監督のエイゼンシュテインが観劇しました。彼のクローズアップ技法は、歌舞伎からヒントを得たと言われています。
 昭和7年5月16日、映画俳優のチャップリンが歌舞伎座を訪れています。その前日は犬養総理暗殺のいわゆる「5.15事件」が起きた日で、チャップリンは首相官邸を訪問する予定だったのですが、偶然予定が変更になり、難を逃れたということです。歌舞伎好きのチャップリンは、昭和11年にも新婚旅行中に歌舞伎座を訪れ、「忠臣蔵」を観劇しました。
 日本が日中戦争に向かう不穏な時代、昭和11年には、来日中のジャン・コクトーが堀口大学の案内で6代目菊五郎の「鏡獅子」を観劇しています。コクトーはこれを見て「美女と野獣」を着想したと言われています。
 後の首相、吉田茂は昭和11年に駐イギリス大使として赴任しました。軍部に対して平和外交を進めようとした吉田は、6代目菊五郎の「鏡獅子」をロンドンに呼び、日英の友好を演出して、アメリカとの仲立ちをしてもらおうとしました。しかし残念ながら公演は実現しませんでした。平成2年になって、孫の勘三郎が勘九郎時代に、ロンドンで「鏡獅子」を踊りました。54年ぶりに祖父が果たせなかった夢を、孫がロンドンで果たしたことになります。

★戦後の海外交流
 昭和20年5月の空襲で歌舞伎座は全壊しました。昭和26年に歌舞伎座が再建されると、昭和30年代から海外との本格的な交流が復活します。
 昭和34年には、新婚旅行中の指揮者カラヤン夫妻が、6世中村歌右衛門の舞台を観劇し、楽屋を訪問しました。
 昭和35年には初のアメリカ公演が実現し、これが非常に当たりました。最後の公演地ロサンゼルスでは、ゲーリー・クーパーやグレース・ケリーといったハリウッドの有名な映画スターたちが、歌舞伎役者を歓迎してパーティーを開いてくれました。
 その後も、昭和36年のソビエト、昭和44年のアメリカ、昭和54年の中国、昭和57年のアメリカ、昭和62年のソビエトと公演が続きました。
 昭和60年には、指揮者のバーンスタインが5世中村富十郎の「船弁慶」を観劇に来ました。この日は、24歳の私がご案内役を仰せつかり、舞台の後、バーンスタインとお店を4軒ハシゴして飲み明かすという貴重な体験をさせていただきました。
 昭和61年には、ピアニストのホロヴィッツ夫妻が2度目の歌舞伎座訪問をされました。

★バワーズ氏と松浦晃一郎氏
 平成に入っても、イタリア、アメリカ、フランス、イギリスなど、歌舞伎の海外公演が続きます。
 ところで、戦後GHQにマッカーサーの秘書官としてフォービオン・バワーズという方がおられました。彼は戦前、歌舞伎の魅力に取りつかれた人でした。当時GHQ下では、腹切り、仇討ち、心中など、歌舞伎の70%の演目が禁止されていましたが、彼の尽力により、わずか2年半でそれらすべてが解禁されました。彼が戦後の歌舞伎界に果たした役割は非常に大きいです。彼は中村歌右衛門の世界文化賞受賞式にわざわざアメリカから駆けつけるなど、晩年まで歌右衛門や尾上梅幸らと深い親交がありました。
 平成17年、歌舞伎がユネスコの「世界無形文化遺産」に登録されました。平成18年8月、歌舞伎座で松浦晃一郎ユネスコ事務局長から、当時の永山武臣松竹会長が認定書を受け取りました。平成9年、歌舞伎のフランス公演を観た、当時フランス大使だった松浦氏がその素晴らしさに感動され、「大使の役目が終わったらユネスコの仕事をするつもりです、ユネスコには「世界遺産」はありますが「無形遺産」はありません、私がユネスコのトップに当選したら「世界無形文化遺産」を創設したいと思います」とおっしゃいました。松浦氏はこの構想を見事に実現され、歌舞伎が「世界無形文化遺産」に登録されたのです。