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★古屋勇多会員
☆たき火を囲んで父から受け継いだ教え
私は1979年9月10日、男3人兄弟の末っ子として、東京都八王子市で生まれました。父は山梨県出身で、ビルメンテナンス会社を一代で創業しました。母は大阪出身の明るい性格で、家庭を支える中心的な存在でした。
1992年4月、私は地元の中学校に進学しました。中学時代に母の勧めで、市が企画したモンゴル視察旅行に参加しました。それは13歳の私には忘れられない体験で、異文化との触れ合いは大きな財産となりました。
帰国後、新学期が始まると、友人関係に変化が生じ、距離を置かれる場面が増えました。モンゴルでの壮大な自然との触れ合いと、人間関係で感じた苦しみ、この2つの経験が私の人格形成において重要な出来事となりました。
そんなとき父の庭仕事を手伝うようになりました。作業が終わると、たき火を囲んで父は会社の話や社会の仕組み、人間関係の考え方、そして経営者としての責任について語ってくれました。この時間が私の人生観や価値観の基盤を作る大切なものとなりました。
その後、兄弟共々父の会社に入社しましたが、私は父に意見を求めることがほとんどありませんでした。たき火を囲む中で父から受け継いだ教えが、私の意思や行動に刻まれているからだと感じています。
高校時代、夏休みになると父の会社でアルバイトをしました。1年から3年間、週末や長期休暇は父の会社で働き続けました。
大学時代の1999年、父が所属していた杉並ロータリークラブが支援活動をするネパールを3度訪問しました。また同年にはアウシュヴィッツ収容所を見に行くため、東ヨーロッパ周辺を1か月間旅し、2000年にはエルサレムを中心にヨルダンやシリア周辺を1か月間放浪する経験をしました。
大学生活をやり切ったと感じた私は、2000年12月、大学3年で日本大学を中退し、父の会社に入社しました。
2006年10月に結婚し、現在は1男1女に恵まれ、家庭を築きながら、これまでの経験を糧に歩んでいます。
★北見雄一会員
☆怒られたことが「心の引き出し」に
私は1962年3月27日生まれで63歳です。今のさいたま市、旧与野市の生まれです。与野市は自動車関係の企業が多いところです。またお祭りなどが非常に盛んな町です。
父母は大宮の出身です。与野市で所帯を持って住んだのですが、与野市は古い町ですから、北見さんはよそ者だということで、地元のお祭りや行事などに参加させてもらえませんでした。私は与野市で生まれたものですから、母から「お前はここの土地っ子だから」と言われて、小学生の頃からお祭りに参加するようになり、中学1年生のときには、大人の神輿に参加させられました。ところが大人たちに無理やりお酒を飲まされてフラフラになったこともありました。それでも母親は「大人の仲間入りをさせてもらって、ありがとうございました」とお礼を言っていました。
母親からはいつも「お前は男なんだからしっかりしなさい」と言われました。怒るのは父親より母親でした。父親は働き者のサラリーマンで、そういう昭和の親の背中を見て育ちました。
私はこれまで先輩たちにも相当怒られてきました。怒られるとやはり悔しくてしょうがありませんでした。しかしいま振り返ってみると、いろんな人に怒られたことが、自分の「心の引き出し」になっているなと感じています。人から注意されたり、怒られるというのは、非常に大事なことなのだと思います。壁にぶち当たったとき、こういうときはどうしたらいいんだろうと思って引き出しを開けると、先輩はあのときこういうふうに言っていたな、それでぶっ飛ばされたな、という記憶が甦ってくるのです。あのとき怒られなかったら、引き出しは空っぽだと思います。ですから今では逆に感謝しています。
私は若い頃から車が好きで、会社の傍ら、11年前からトヨタのレーシングチームに参加しています。今年は全国で年間8戦レースを行うことになっています。
★髙橋潤会員
☆ゴルフで有頂天に
私は1977年8月6日、東京都台東区西浅草に生まれました。兄が1人います。父の仕事の関係で、8歳のときに茨城県つくば市に引っ越しました。当時は、田んぼと畑と森、遠くに筑波山が見える、というような場所でした。最初は驚いたのですが、子供のことですから、森に入って木登りをしたり、基地を作ったりして、そこはすばらしい場所になりました。
小・中と地元で過ごし、高校は土浦日大高校に行きました。高校ではそれまでやっていたテニスでなくゴルフ部に入りました。
ゴルフのセンスがあったのか、高校時代はそこそこの成績を収めて、内部進学をあきらめていたところに、東北福祉大学からスカウトがあって、仙台に行くことになりました。
監督が言ったとおり、3年生のとき団体戦で日本一になりました。そしてその年の秋の世界大会で何と世界一になったのです。4年生のときも日本一、世界一を取りました。私はもっとうまくなりたいと思って、単身でオーストラリアに渡り、2年過ごしました。
タスマニア島で行われたオープン競技に参加して、4日間の競技で2日目が終わって私がトップになりました。地元のマスコミからインタビューされたりして有頂天になってしまいました。そのとき勧められた生ガキを食べたところ、サルモネラ菌にあたって入院、タスマニア・オープン制覇という夢は流れてしまいました。
帰国して、ツアー・ライセンスというのを取得し、日本のツアーに参加するようになりました。ゴルフは全部自腹です。決勝に残らないとお金がもらえません。毎回赤字で、アルバイトをしながら生計を立てていました。
26歳のとき、これでは食べていけないし、結婚もできないということで、ゴルフの業界から足を洗うことにしました。そして今に至っています。
今回、林様、志村様にロータリーに誘っていただき、私もやっとそういう資格があると思っていただけるようになれたのかなと、涙が出るくらいうれしく思いました。