卓話概要

2022年09月06日(第1795回)
元駐ウクライナ特命全権大使夫人・ウクライナハウスジャパン事務局長
天江英美氏

平和はどこにあるのか~ウクライナ避難民学生との交流を通して考える

★「ウクライナハウスジャパン」の結成
 本年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まって以来、ウクライナから国外に避難した人は1,110万人以上、そして日本への避難民は、9月3日現在で1,830人となっています。
 私たちが現在交流しているウクライナ避難民学生たちは、17歳から20歳ぐらいのいわゆる学部生です。受入条件としては、日本に家族がいる、または身元引受先がある、日本での就学希望、日本語または英語を解する等です。受入先は、国公立や私立の大学、日本語専門学校など約70校余りです。
 私たちは「ウクライナハウスジャパン」という団体を結成したのですが、自然発生的にできたものです。私も2002年から3年間、夫と共にキーウ市に在住致しましたので、他人事とは思えぬ心境でおります。ロシアの侵攻が始まった時点で、「かすみがせき婦人会」(任意の外務省関係者婦人会)有志が、赴任地での経験を通した緊急支援活動を始動しました。
 現在、「ウクライナハウスジャパン」は、元駐ウクライナ大使の黒川裕次、天江喜七郎、角茂樹の3人が共同代表となり、私が事務局長を務めています。入国後の申請手続きのサポート、チャリティーイベントの実施、生活費・教育費・必需品等の供与、日本の学生との交流、共に平和について考える機会を設けるなど、ウクライナ避難民支援を直接・間接的に行っています。

★対話路線から強いロシアの復活へ
 ソビエト連邦の崩壊からウクライナ侵攻に至る歴史を簡単に振り返ってみますと、ソ連末期の1985年3月、ゴルバチョフが党書記長に就任します。同年11月にはレーガン大統領と米ソ首脳会談を行い、核軍縮・相互訪問の共同声明を発表します。1986年4月には、ペレストロイカ(ロシア語で「建て直し」)、グラスノスチ(情報公開)を提唱します。
 こうした中、大統領に就任したゴルバチョフの改革路線に対し、1991年8月19日、共産党保守派によるクーデターが起こります。結局、 1991年8月24日に共産党は解体し、それに伴ってウクライナは独立を宣言、そして同年12月31日にソ連邦が崩壊し、CIS(独立国家共同体)が成立します。
 ゴルバチョフ大統領は辞任し、エリツィンがロシア連邦の大統領として登場します。エリツィン大統領は、対話による解決を重視したゴルバチョフ路線を受け継ぎます。
 1999年にエリツィン大統領が健康上の理由で辞任したとき、次の大統領にプーチンを指名します。エリツィン大統領は、これまでの対話路線・民主化路線を引き継いでもらいたいとプーチンに託したわけです。
 しかし、ベルリンの壁が崩壊したとき、KGBの情報部員として東ドイツに駐在していたプーチンは非常なショックを受けました。それに続く、ソ連崩壊という二つの苦い経験から、プーチンの心の中に、このまま対話路線で進むべきなのか否かと云う疑念が生じたと推測します。そしてソ連時代への回帰、強いロシアの復活を目指すようになったプーチン大統領によって、とうとうウクライナ侵攻が始まり、米露の新冷戦時代へと突入したと云うわけです。

★独立後のウクライナ 「二つの革命」
 1991年8月に独立したウクライナはその後、オレンジ革命(2003-04年)とマイダン革命(2014年)と云う、二つの大きな革命を経験します。
 2003-04年には、大統領選の不正に対する国民の怒りから「オレンジ革命」が起き、やり直し選挙で、親欧米派のユーシェンコが、親ロシア派のヤヌコビッチに勝利して大統領に就任。ウクライナは欧米化が加速。ロシアとの溝は深まります。
 しかし、2010年の大統領選では、親ロシア派のヤヌコビッチが返り咲き勝利。再びロシアの影響力が及びます。結果的には国内で大規模な反政府デモが発生し、「マイダン革命」が勃発。マイダンという広場で市民と軍が激しく衝突し、身の危険を感じたヤヌコビッチは、ロシアに亡命。その後親欧米派のポロシェンコが政権を獲得しますが、国内では親ロシア派、親欧米派の対立が激しくなり、クリミアはロシアに併合。東部では親ロシア派が勢力を強めます。
 2019年の大統領選挙でポロシェンコは、国民の信任を得られず大敗。現在のゼレンスキー大統領が誕生します。彼は俳優・コメディアンの出身で、「国民の僕(しもべ)」という政治風刺ドラマに主演し人気を博します。そして実際に「国民の僕」という政党を結成。大統領選挙に出馬して圧勝しました。ゼレンスキーは初のユダヤ系大統領でもあります。

★戦争は人の心の中で生まれる
 ユネスコ憲章の前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とあります。
 ウクライナの学生たちは、日本の文化に対する強い憧れを持っています。私どもとしては、日本でさまざまなことを学んでいるウクライナの学生たちが、将来自国に帰ったときに、国の復興や再建、世界の平和構築に役立つ人になってほしいと願っています。
 外国の歴史・文化や科学技術など、学んだことを世の中のために役立てることが、負の連鎖を断ち切り、地球上の生きとし生けるもの全ての幸せに繋がるのだと思います。そうした学びの意味というものを、次世代を担う学生さんたちには再認識してほしいと思っています。