卓話概要

2022年09月13日(第1796回)
公安審査委員会委員・学校法人東洋学園学事顧問
鵜瀞恵子氏

公平が不公平を生む?~大学から見えてくる子どもの問題

★大学生を見て感じたこと
 大学に勤めるようになって、大学生たちが自分の学生時代とは全然違うなと思いました。
 想像を絶する学力・教養のなさ、勉強しようという気もない、喫煙率が高い、退学率も非常に高い。勉強したくない学生が大学に来る目的はただ一つ、よりよい就職先を求めてです。しかし就活をなかなかしようとしません。
 彼らはどうしてそうなのだろう、と考えて最初に思いついた理由は、勉強しなくても大学に入れるからだ、と。大学進学率は50%を超えている。18歳人口は減少しているのに、入学定員は増加しているので、きわめて入りやすくなっている。だから高校で受験勉強をしない。しかも高校はほとんど全入なので、中学でも勉強していない。さらに、生まれてからずっと低成長なので、頑張れば明日は今日より良くなると思っていない。親も親戚も大学を出ておらず、家に本や新聞がない、などなど。
 大学は将来の可能性を広げるところなのに、なんともったいないと思ったわけですが、彼らの背景には、もっと本質的な問題があるのではないかと思うようになりました。

★低学力の再生産
 統計を見ると、親の学歴で世帯収入に差が出ます。世帯収入が違うと、子どもの教育費支出が違ってきます。
 そして、子どもの学力に応じて、進学先高校が決まります。行ける高校が学力によって違うというのは、フェアで当たり前だ、と皆さんは思われるでしょう。しかし、学校間の学力格差は、仲間づくり、教育内容、進路などに違いをもたらし、もちろん進学先大学にも差ができます。また次世代の子どもにその差が引き継がれ、低学力の再生産が起きます。
 教育社会学の用語で「家庭の社会経済的背景/SES(Socio-Economic Status)」というのがあります。ここには親の収入、職業的地位、家庭の文化的要素などが含まれ、これらが子どもの小学校や中学校段階の学力と相関しているという調査があります。そして、高校入試で学力により振り分けられ、学校間格差が生まれます。
 一見、フェアで公平な入試が、かえって教育の機会均等に反する結果をもたらしているのではないか、個人にとって公平な仕組みが、社会全体にとって公平に反する結果をもたらしているのではないでしょうか。

★子どもの貧困問題
 子どもの貧困問題が、最近よく指摘されるようになりました。子どもの貧困率(可処分所得の中央値の半分以下)は14.0%となっており、結構大きな割合だと思います。ひとり親世帯では、貧困率は48.3%になります。
 貧困というのは、知らない人にとっては知らない世界ですが、貧困の連鎖は社会的コストを高めます。学力・学歴のみならず、虫歯、近視、栄養不良など、健康にも影響を及ぼします。また、孤独、虐待、劣等感、親の病気、親と一緒に過ごす時間が足りないことは子どものストレスになります。
 国として子どもの貧困対策は行われていますが、低学力の再生産をもたらすことを考えると、さらなる対応が必要ではないかと思います。

★非認知能力の重要性
 「非認知能力」というのは、自己肯定感とか人や社会と関わる力など、IQや学力では計測できない能力のことで、最近その重要性が指摘されています。基本的な生活習慣の上に、そうした非認知能力があってこそ、認知的能力(学力)がある、と言われています。幼児教育に関しては、それを意識した幼稚園教育要領というのが作られています。
 OECDでは、「社会情動的スキル」という言葉を使って、目標の達成、他者との協働、情動の制御などが、学力とは違った重要なスキルであると言っています。
 そう言えば、私の接した大学生たちは、計画性がなく、仲間作りが苦手、失敗すると立ち直れない。彼らは学力以前に、非認知能力に欠けているのではないか、大学に入る前に問題があると思った次第です。

★何ができるか、何をすべきか
 子どもは社会的資本である、と考えることができます。したがって、教育投資は社会への効果が期待できると考えています。
 非認知能力を高めることが学力につながるのであれば、学校教育の前に対処したほうがいいのではないか、つまり幼児期の対応をもっと充実させるべきではないかと思います。
 低収入でも子どもが高学力を達成している家庭では、親が子どもを決まった時間に起こしたり、毎日朝食を食べさせたり、絵本の読み聞かせをしたり、学校行事に参加したりするなどの特徴がみられるという調査があります。
 そのようなことができない家庭については、社会で機会を提供する、すなわち、家庭外の居場所を提供する、子ども食堂を営む、幼児教育を義務化して非認知能力を養うなど、子育てを社会化することも意味があるのではないかと思っています。